下北沢の編集プロダクションで編集者として働きながら、編集やUNIX、DTPを学ぶ。同時に、個人的なウェブサイトの制作が加速する。

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Nifty-Serveが待ちに待ったダイヤルアップPPP接続サービスを開始。電話代が高かったので、23時から翌朝までのテレホーダイタイムを待ってネットをやっていた。

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大学4年生の夏休み、知人の紹介で(有)アバン から「東武グループ」ウェブサイトのHTMLコーディングの仕事を請け負い、Performa575でせっせとコーディングして夏が終わる。

それと同時に、下北沢にあるちょっと変わった編集プロダクションで書籍編集のバイトをしていた。UNIXを使って編集していて、要件はすべてメールというのが徹底して義務づけられていた。「その話はメールでしてくれ!」という社員の方が書いた本が出版されていたほど。電車の中ではUNIXの分厚いテキストを夢中で読み、当時はまだ珍しいパソコン用語辞典の編集を手がけた。編集の他に、PageMakerやQuarkを使ったDTPも経験した。初めて手がけた本に編集者として名前が載ったのがうれしくて、本屋に行っては目立つところに並べたりした。

「Yahoo!JAPAN」がサービス開始したのもこの頃だった。

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個人サイト「marble」に日々思ったこと、感じたことを書きつづるようになる。

スピッツのファンサイトを作り、全国64カ所のツアーレポートを募集。そのうち63カ所のレポートを編集、掲載する。大阪ラジオ局、FM802のスピッツレギュラー番組「MUSIC GUMBO」を大阪のスピッツファンからカセットテープで送ってもらい、毎週テープおこしをして内容を掲載していた。今思えば、なんというご苦労なことで…。

気合い十分でスピッツ所属事務所に「公式サイトを作りたいのですが」と電話をかけたら「インターネットってなんですか?」「よくわからなけど、スピッツの名前を勝手に使うことは今すぐに辞めてください」と、サイト閉鎖を求められ撃沈。

 

■「東武グループ」ウェブサイト