大学2年生。パソコン通信時代、学校の課題で初めてウェブサイトを制作する。

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「プログラム言語」という授業で初めてホームページを作る。テーマは何でもよかったので、フリッパーズギターのサイトを作ったものの、フロッピーディスクで提出するだけでネットで公開するには至らなかった。後日、自宅からインターネットができるようになり、課題で作ったサイトを公開した。この時、机の上に明治のマーブルチョコレートが転がっていたことからmarbleを名乗るようになる。のちに会社名になるとは思いもしなかった。

この頃は「NCSA Mosaic」というブラウザを使っていて、のちに「Netscape」に移行していく。新しいブラウザが出ると大興奮だった! Yahoo!もGoogleもなく、「メール」という言葉も、まだ一般的ではなかった。

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奨学金をもらい、バイトをいくつも掛け持ちしていた極貧の学生時代に、何を思ったかパソコンを買う。Macintosh Peforma575を手に入れてからさらに貧乏になり、冬が越せるか危うくなる。

首から猫型のお財布をぶらさげて上京した私には、ブランド物のバッグにハイヒールの同級生がものすごくキラキラして見えた。友だちがいなくて、いつもコンピュータ室にいた。

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パソコン通信「Nifty-serve」を始める。フリッパーズギターのホームパーティに入り浸ったり、スピッツのパティオを主宰する。

大学の課題で、Hyper-Cardのスタックを作った。「小沢健二スタック」は我ながらヒドい出来で即封印された。